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直江兼継で沸く新潟県

NHKの大河ドラマで天地人の放映が決まり、新潟県では直江兼継ブームが起こった。高速のパーキングには必ず直江兼継の象徴「愛」の文字のTシャツや帽子、キーホルダーが並んでいる。 新潟県の至るところで「天地人」、「直江兼継」、「愛」などののぼりが置かれている。新潟といえば上杉謙信が有名だがこの天地人放映のおかげで名将、直江兼継も一躍、全国的に有名になった。補足で小説「天地人」の作者、火坂 雅志(ひさかまさし)氏も新潟県の作家である。小説の天地人の意味は「天の時、地の利、人の和の三つが整ったときに、物事はうまくいく」という上杉謙信の言葉でその教えを直江兼継も教わったということで天地人というタイトルにしたという。ちなみにこの天地人の語源は2300年前に、中国の孟子が残した「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」から来ている。

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知勇兼備の武将直江兼継

戦国時代に名前を轟かした武将には必ず名軍師が片腕としてついている。織田信長には豊臣秀吉、豊臣秀吉には今孔明と言われた竹中半兵衛、武田信玄には山本勘助、そして上杉家には直江兼継だ。 直江兼継は戦国時代の1560年に坂戸城主の長尾政景の家臣・樋口兼豊の長子として誕生。幼名は与六と名付けられた。幼いころから聡明で六歳から上杉景勝の小姓として仕えた。 上杉景勝と年の近い兼継は兄弟のように生活し、二人の間には強い信頼関係が生まれた。 上杉謙信が急死した時、上杉家には二人の跡継ぎ候補がいた。景虎と景勝である。謙信は景虎の方を気に入っていたが、急死したため跡継ぎを明確にしなかった。そのため景虎と景勝は家督争いを起こした。この争いで兼継は力を発揮し景勝を勝利に導いた。その働きにより直江兼継は上杉家bQの地位を得た。

直江兼継の兜「愛」

戦国武将として勇ましいとはいえない文字を兜に掲げていた兼継。その文字は「愛」の一文字。武将なのに「愛」なんてカッコイイのだろう。しかしなぜ「愛」という文字の兜をかぶっていたかと言うと。「愛」は「愛染明王」もしくは「愛宕権現」からとったという説と仁愛主義の兼継が自分の生き方の象徴の仁愛からの「愛」からとったという2つの説がある。
どちらの「愛」かははっきりしていないが、恐らく2つとも正解ではないかと思う。そんな「愛」を掲げている兼継だが、気の強いというか剛直なところもあり有名な「直江状」で徳川家康を怒らせたり、伊達政宗をコケにしたりとなかなかの猛将ぶりもみせている。しかし一度培った信頼関係を重んじ主君の上杉景勝が120万石から30万石へと減石されたときも全く嫌な顔をせず、当然のように付き添った。まさに「愛」の精神を貫いた武将である。

天地人、直江兼継